2年9ヶ月の記憶を後に

掃除をして洗ってないのも忘れ、
けっして綺麗なはずがない指先を口にくわえた。
指先に走る痛みと赤い血が掃除をしたばかりの
床に滴り落ちないように。


予定より早めに来た管理会社の人に指摘され、
まるっきし忘れていた天井のシーリング・ライトを
慌てて取ったときに中指と薬指の先を切ったようだ。
持っていた雑巾に赤いものを見つけて気づいた。


傷口を自分自身で消毒しながら、まだ中途半端だが
掃除をしたての部屋を眺め回した。
管理会社の人には
「どうせプロの人が後でやるからいいですよ」
と言われてしまったので、残りは放っておくことに
したが、どうせなら綺麗にして後を発ちたかった。
発つ鳥跡を濁さず、といきたかったものだ。


2年と9ヶ月。


別に思い立てば歩いてでも来ることが出来る距離に
引っ越すので、それ程思うところはないのだが、
鍵を返し、この部屋にはもう入ることはないのだな、
と考えると、ふうっと空気が口から抜けていった。


就職してからも居座った実家を出て初めての一人暮らし、
その後、結婚をしてからは奥さんがやって来ての暮らし。
結婚を挟んだ前後を暮らした部屋だ。
思えば僕の人生が大きく動いた2年と9ヶ月を暮らした。


いろいろあった。本当にいろいろあった。
最後までバタバタとしてしまったが、
やっと、出て行くことが出来る。


そんなに悲しくはないのは、もともとがそれ程長く住む
つもりではなかったからだろう。
それでも鍵を返してしまうと、少しは寂しいものだ。


鍵を返してしまった後、そそくさと逃げるかのように
足早に部屋を後にしてしまったのは、なにも
ウサギのおしっこでダメにしてしまった畳と、
ウサギの歯形がしっかりと柱に刻まれてしまったのを
後ろめたく思う気持ちだけではなかったと思う。