文字だけの不完全さ


実家に帰っている奥さんと、どうしても
コミュニケーションが減ってしまうのだが、
ふと、奥さんからパソコンの方にメールが
届いている。
実家のパソコンからウェブメールを使って
送ってくれたようだ。


便利なもんだと思う、メールは。


電話にしても、育児で疲れているか、体を
休めているかとか考えちゃうと、掛ける
のもためらう。
ひと昔前は携帯電話もないのだからもっと
ためらうものがあっただろうと思うが、
携帯電話でも遠慮してしまう。


携帯メールもあるが、まとまった話なんか
は文字数や見やすさを考えると躊躇する。


パソコンであれば、見る余裕があるときに
メールチェックをしてくれるので、気兼ね
なく送ることが出来る。


もちろん、急ぎの用件には向かないのだが、
逆にどうでも良いことでも送れる。
でも、そんなどうでも良いことが、かえって
コミュニケーションには重要だったりする。


でも、メールというのは便利なようで不便で
あったりもする。
というのも誤解や勘違いを生みやすい道具
だからだ。


何度、喧嘩になったりなりそうだったりした
ことだろうか。


メールは感情的になりやすい道具だ。
書くときは一方的に言いたいことを書ける
ので、一気に感情が振り切れやすい。
手紙よりも簡単に送信できるので、考え直し
たり、読み返したりも少ないはずだ。


相手の反応もなく、予想して最後まで書か
なければいけないので、話がずれると変な
ほうまでずれることもある。


純粋に文字だけというのも、誤解や勘違いを
生みやすい。
コミュニケーションでは言葉意外のものも
普段考える以上に重要だ。有名なのには
メラビアンの法則”というものがある。


会話において、相手に伝えるとき、
視覚情報(見た目・表情・しぐさ・視線)
聴覚情報(声の質・速さ・大きさ・口調)
言語情報(言葉そのものの意味)
の3つに分けると、55:38:7となって、
言語、つまり言葉だけでは7%しか伝わら
ないといったものだ。


多少、実験の内容には無理もあったようで、
大げさな感じはするが、当たっている部分も
あると思う。


だから、メールでは誤解を生みやすくても
頷ける。
だからこそ、顔文字や絵文字が必要なんだ
ろうとも思う。多少なりとも文字だけの情報
を補完する為だ。


“(^O^)”といった顔文字や“(笑)”が文末
に入るかどうかで捉え方が大きく変わること
は想像できる。



これはメールだけではなく、たとえば掲示板
やフォーラムなどでも、醜い言い争いが繰り
広げられたりするのも良く聞く話だ。
情報が伝わり難いうえ、感情的になりやすい
といったことが原因だろう。


だから、大事な用事はメールで伝えるのは
好きではない。


誤解を弁明しようとしたとき、確かにメール
は送りやすい。一気に自分の言い分を言えて
しまえる。
途中で遮られることも、キレられて話が出来
なくなるといったこともない。


しかし、余計に誤解を生んだり、お互いが
感情的になって話がこじれる方が多いのでは
ないだろうか。


お互いが
「文字だけのコミュニケーションは不完全だ」
ということが分かっていれば、良いのだが
大抵はメールの不完全さに気付いていないの
ではないだろうか。


メールや掲示板では議論や批判、交渉、言い訳、
言い争いには向かないということは頭にいれて
おいた方が良い。



文字だけの情報と言えば、この日記なんかも
そうだ。なかなか文字だけで伝えるのはつらい。
100%伝えたいことが伝えられると思っては
いけないし、読み取れるとも思ってはいけない
のだろう。


特に僕は日記を書く際に、顔文字や“(笑)”は
使わないことにしている。
最初は“!”や“?”も使っていなかった。
さすがに“?”は必要かなと思って、少しは
使うようになってきた。


深い理由ではないが、そういった装飾は省きた
かったのだ。
純粋に文章だけで表現したいと。


そのせいで誤解を生んで、読んだ人に不快な
思いをさせなければ良いのだが、万が一、不快
な思いをしてしまったら、それは僕の文章力が
至らなかったのと、文字だけの情報の不完全さ
を汲み取って頂きたいと、切に願います。