掴み食べ


「みうちゃんが、自分で食べたよー!!
めっちゃ嬉しいー!!」


奥さんからそんなメールが届いたのは
昼過ぎ。昼ごはんを手掴みで食べた
ようである。


奥さんは、ここのところ、ごはんの度に
みうちゃんが自分で食べないとこぼして
いた。


「もう出来ていなきゃいけないのに!」
と涙ながらに何がいけないのか、いけな
かったのかと、けっこう悩ましていた。


対照的に僕はまったく気にしていない。
呑気に「いいんじゃない」と口を滑らせ、
怒られてしまうほどだ。


僕の考え方としては、成長の度合いが
早ければもちろん、越したことはない。
素直に嬉しかったりする。


しかし、遅くても、全然気にならなく、
そのうち出来るだろう。と呑気なもんだ。


そりゃ、いついつまでにという“目安”
はある。しかし、それは“目安”であって
それ以上でも以下でもない。


どうも奥さんは“目安”を目にする度に
“それ以上”のものと捉えてしまって
悩んじゃうようだ。


情報が多すぎるというのは困った面も
あって、気になるとやたらと目に付く
ようなのだ。


みうちゃん本人が元気に大きくなって
きているので、掴み食べくらいは
どうってことはないのだが、気になると
止まらないのだろうか。


大体、僕が見たところ、みうちゃんが
自分で食べないのは、能力的に食べる
ことができないのではないようだ。


ただ、食べる気がないだけ。
食べさせてもらったほうが楽だから
なのか、手で掴んだ感触が面白くて
口に運ぶのを忘れるのか、ごはんとは
食べさせてもらうものだと認識しちゃった
のか。


証拠にスティック状のお菓子は一人で
食べちゃうのだ。全部。
それは、“一人で食べるもの”なので
あろう。


そして今日、奥さんにしてはようやく、
みうちゃんは自分で食べたようだ。
なにより、気にしていた奥さんのためには
良かった。食べるようになってくれて。


最初は小さなお好み焼きだったようだ。
その後、今まではくちゃくちゃと手で
こねて遊ぶものだった、かぼちゃや
ごはんも自分で食べたらしい。


そんなものかもしれない。一気に何かが
繋がって、あれこれ口に運ぶように
なったようだ。


子どもの成長は面白い。
昨日まで出来なかったことが急に出来る
ようになったかと思ったら、なにか
パズルがカチッとはまったようになって
一気に出来るようになってしまう。


口にする音の種類も増えてきたのだが、
あるとき音が言葉になった瞬間から
一気にいろんな言葉を口にするんだ
ろうな。楽しみだ。